2017年3月12日日曜日

3月19日 天満ナチュラルマーケット そして 母をきらいなまま好きになるということ


3月19日 日曜日 11時から5時まで てんまのいえ で sokuatu(足圧)させてもらいます。
毎回てんまのいえの店長が描くフライヤーのイラストがすてきです。

              ※       ※        ※

 わたしは、10代のころから 母のことがきらいでした。
なにかと不安にからめとられる人で、近所や周りの人に攻撃をうけやすく
ときには、悩みすぎて、現実を見失ってしまうほどでした。

母はいつもわたしに話をきいてほしがりました。
わたしはそこから必死でにげようとしながら
母に怒りを持ち
そんな自分をきらいになりながら
大人になりました。

少し前から ビジョン心理学に出会い
セラピーをうけることで 自分の中の母への気持ちを整理する時間を持ちました。

そして2月のある日
ビジョン心理学の一日講座に参加しました。
講師の大空夢湧子さんに
セルフセラピーカードのリーディングをしていただいて、
わたしはずっと 母を見下していたのだ
と おもいました。

だれかを見下すということは
自分が上に立つ ということで、
それは パワーゲームで
そうしてるうちは 平和ではない状態が続いて
ギフトが受け取れない

というような内容でした。

そのときは
そうは言っても
母を 全部好きにはなれないなあ
と おもいました

そして 何日かしてふと

母のこんなところがイヤだ
こういうところは 疲れるなあ
ということが 山盛りあったとしても
わたしは 母が好きなんだ

そうおもっていいんだ

そんなふうにうかびました

そうおもったら、すごく ほっとしました。

母との ながい ながい パワーゲームを 手放せた気がしました。

2017年2月17日金曜日

2月19日 てんまナチュラルマーケット そして 気づきたくない自分の中のおそれ

2月19日日曜日は
てんまナチュラルマーケットに参加させていただきます。

11時から5時まで てんまのいえ です

足圧(sokuatsu)は 足でからだをふみほぐすフットセラピーです。
 
ソフトな圧をかけながら リラックスしていただけます。
服を着たままうけていただけます。

30分2000円 です

12時半までご予約いただいています
その時間以降 お気軽にお声がけください。

写真は はじめて ナチュラルマーケットに参加させていただいた3年前の様子です。
緊張でドキドキの一日でした。
そんな気持ちを 持ち続けて いつも 初めてのような心持ちで セラピーをさせていただこうと
おもいます。

※  ※ ※

ここ数年 ずっとぬぐえない哀しみのようなことが手放せなくて
どうして そのことに 自分がとらわれ続けているのかふしぎでした。

自分でも そんなこと気にやんでも仕方がないとおもったり
友だちにも そんな心配いらないよと
何度も言われたのに

やっぱりとらわれたままでした。

それは ひととのつながりの間での ことで
どうも 今の自分では だめなのだ
と わたしは おもっているようでした。

そしてふと
時間的には 半世紀と少し生きてきたわたしは
気がつくと、しみやしわがふえて
時々 おばあさんの顔になってきたな
と感じていました。

だけど 20代のころから特別きれいな人というわけでもないし
年をとるのなんて 全然平気だ
と 自分でおもっているのだとおもっていました。

そのどうしようもない哀しみのような気持ちは
ひととの間で生まれいることではなくて

自分の中の 哀しみだったんだと うかびました。

わたしは 自分のからだが老いていくことが哀しくてやりきれないな
みたいにおもっていて
そのことを認めたくなくて
だれか ほかのひととの間のことみたいに
嘆いていたけれど
実は 今の自分嘆いていたんだな
って びっくりしました。

いつか いやいや、半世紀も生きてるとしわやしみがいっぱいになるね
えへへ
みたいに 自分を わらって愛しむ自分になろう・・・

とおもえて ちょっといたいけれど ほっとしたような気持ちになりました。




2016年12月8日木曜日

天満ナチュラルマーケット そして めぐりめぐる時間の中のわたし



2016年12月しめくくりの天満ナチュラルマーケットに参加させていただきます。
1年と少しぶりです。
自分の中ではイベントで sokuatsu(足圧)をすることはないだろうとおもっていたので、ながれというのでしょうか、めぐりあわせのふしぎをおもいます。

sokuatsu(足圧)は足でふんで からだをゆるめるお手伝いをします。
うつぶせで足裏から足、おしり、腰、背中、首、仰向けで、腕などをふんでいきます。
強い圧はかけませんので、ゆるやかなのがお好きな方にぴったりです。
服をきたままうけていただけます。

ひさしぶりのナチュラルマーケットでのsokuatsu(足圧)の時間
てんまのいえでお会いできるのをいまから
わくわくしてお待ちしています。

天満ナチュラルマーケット
場所 てんまのいえ
12月 18日 日曜日  11時から17時まで
30分 2000円(足裏から腕までのコース)

                         ∞   ∞   ∞

 1年前と少し前から 京都の書店でアルバイトをはじめました。
ものすごく久しぶりの組織の中での仕事で
何度も もうだめなんじゃ・・・
とおもいながら、過ごしていました。

やっといろんなことに慣れてきて 落ち着いてできることがふえて
ほっとしました

ある日ベテランの社員さんにそう言ったら、

自信ができてきたんですね。

と言われて、

いやいや、そんなことありません、
自信だなんてとんでもない・・・

と言ってる自分に ふと
あれ?
とおもいました。

わたし、自信をもつってことに すごく自信がないのだなあ
自信をもつって 自分に許せないのだなあ
でもきっと 自信という名前はそびえる山のようでつかえなくても

これは、すき

とか

これいいかんじにできる

とか

そういう自分をみとめる気持ちがもうすでにわたしの中にあって
それをただ ああ、そういう気持ちがあるんだね
っておもってあげたら それでいいんだな
っておもいました。

このあいだ初めて行った鍼灸院で
その話をきいた鍼灸師の方が

そうなんですよ、人に言わせてるのも自分だから
そういうめんどくさいことはやめて
 自分はすごいって自分でみとめてあげたらいいんです。

と言われたので

いままでのくせでそうできないんです

といったら

そういう自分も愛してあげて どんな自分もOKっていってあげたらいいんです。

と言われて
 
ああそうだ
いい自分 と
よくない自分 とかはなくて

自分っていう宇宙みたいなのがただあって
その外にいろんなものがめぐっていて
それを見ているわたしの中も
エネルギーというのか気というのか なにかがめぐっていて
みんなめぐって めぐり会ったり はなれていったりしているのだなあ
そんなふうに感じた時間になりました。

もし あなたが なにかに 自信がないとかんじていたら
自信という言葉は 使わなくてもだいじょうぶ

あなたの中にある あ、なんかいいみたいなふんわりした気もちに
名前つけないで よろこんであげましょう

そこからながれてくるキラキラしたものをただかんじてあげましょう

きっとあなたのなかにそれはあります





2015年9月13日日曜日

sokuatsu(足圧)小休止 そして白い魔術と ただのわたし


sokuatu(足圧)講座に通い、周りの人たちに喜んでもらえて、うれしいなあとおもっていたときから、やがて知らない場所で、知らない人たちがお客さまになってくださって、sokuatu(足圧)をさせていただけるようになりました。

去年の初夏に、はじめてご縁をいたただいたイベントは、ずっと好きで通っていた珈琲店の店主さんが紹介してくださいました。

それから、毎月どこかによんでいただけるしあわせな一年と少しの日々でした。

この夏からわたしのまわりで変化のときが訪れて
夏がすぎゆく今またあたらしいご縁をいただいて、sokuatu(足圧)とはちがう世界に身を置くことになり、イベント参加は小休止となります。

でもどこでなにをしていても、

セラピスト
エッセイスト
えほんコーディネーター
のわたし・・・

でもわたしがいつもなりたいなあとおもっているのは、

白魔術師です。

アーシュラ・K・ル=グウィン作の「ゲド戦記」シリーズを読んだとき、いわゆる魔法使いの存在の他に、村には小さな魔術師がいて、家畜や村人のけがや病気の世話をしていた様子が印象的でした。

わたしは、とくに、声がきこえるとか、オーラが見えるとか、予知ができるとかそういう類のことは
一切ないのですが、子どものころから、人の視線を感じるということが、不思議でした。

そしていつか、本の中にでてきた村の魔術師みたいになれるといいな
とsokuatu(足圧)をしながら、おもうようになりました。

あるとき、Barのカウンターで、白魔術師になりたいとはなしたら、
となりに居合わせたかわいらしい女の人が、
白魔術師というと、ゲームの中にでてくるイメージと教えてくれました。

たたかうときに、白魔術師は直接的な力にならないので、一人でいても意味がないのだけれど、
人の中にいると、他の人を癒す力があり、とても意味がでてくるのだそうです。

そのお話をきいて、遠くてもわたしの歩いてゆく道をおしえてもらったようで、
じんわりうれしくなりました。

いつか、服部みれいさんが仕事について、

好きなことを職業にするッみたいなノリは、根本的にちがうのかなと思っているんです。
そういう方向じゃなくて、「ただ、わたし自身である状態」に人間がなった瞬間というのは、
受容の幅と深度がすごいことになっていて、何でもありがたいと思える、そういう境地になるのかな
と思っています。

とおしゃっていました。
ちょっとむずかしいのですが、わたしなりにうけとると、
何をするかより
どうあるか
そしてどれだけそのままの自分でいられるか
ということのような気がしています。

sokuatu(足圧)がはこんでくれた空間、ひと、時間との出会いのひとつひとつが
わたし自身になるためのgiftにおもえ、感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます。

写真は看板もおもいつかない、はじめてのイベントでsokuatu(足圧)させてもらった日のわたしです。

またsokuatu(足圧)でお会いできる日を楽しみに・・・







2015年9月2日水曜日

9月4日 green stone さんで 足圧 そして 横断歩道にうずくまるわたしと いつかなにかにかわる問題

 
 
 9月4日金曜日 交野(かたの)のgreen stone さんで 10時から15時まで足圧させていただきます。
 
クレイパックのかやさんとご一緒させてもらいます。はじめましてのベイビーと久しぶりにお会いする店主さん。とても楽しみです。
 
 
     *     *     *
 
京都の大学の街あたりの路面電車と道路が交差する道沿いの古いビルの二階と三階にそのお店があります。
 
三階は珈琲のお店です。静かというよりもう少しはっきりした音でピアノ曲が流れていました。
窓際のカウンターからすぐ前の道路の横断歩道が見えて、運ばれてきた珈琲には、真ん前の電信柱がうつっています。
 
外の車や信号機の合図の音、お店のピアノ曲がまざって、でもなぜか心が静まる空間です。
周りが静かだから自分の中が静かというわけじゃないんだな、とちょっと不思議でした。
坂本龍一さんの曲をききながら、ぼんやり珈琲をのんでいたら、自分で自分の中を眺めているような気持ちになり、涙がでてきて、なにに泣いているのかよくわからないな、と感じました。
 
それから、予約していた二階の美容室におりました。
髪を切ってくださるのは、やわらかい雰囲気の女の人でした。お店の本棚に並んでいる本から、少し前に京都であったっ作家さんの講演会の話題になり、
えー、わたしもいってましたよ。ああ、あの質問されたのがそうだったんですね。
と、話したりしました。
 
そして、自分の中のかなしみとどう向き合うかという話になりました。
 
かなしみを酒の肴にしてBarで飲むのもオツなものじゃないですか。
かなしい時にかなしい曲とかきくと、自分の中に元気いっぱいの時よりぐっとはいってきませんか。
 
と話されてからその人は、一瞬髪を切る手を休めて、窓から見える横断歩道をさして
 
あの横断歩道の真ん中にかなしんでるわたしが立っているとするでしょう。
そのわたしをここの二階の窓からわたしが見てるという
感じです。
 
とおっしゃいました。
そのときその横断歩道に立ちつくすわたしが あざやかにわたしの中にうかびました。
 
いつまでもかなしんでいる自分はだめだ、ポジティブにならないと・・・
とおもってよけいにとらわれてしまうことがしばしばでした。
 
いつか読んだ石井ゆかりさんの本のなかに
元気でありながら心の中には大切なかなしみを卵のように温め続けることができる。
というような文章がありました。
 
それから、かなしみでいっぱいの自分になったとき、
横断歩道にうずくまっている自分を、二階の窓から見ている自分
という光景をおもい描くようになりました。
 
 
原題は”Wild"という映画「わたしに会うまでの1600キロ」をみました。
傷ついた一人の女の人が三か月かけて自然の中を歩き続けるというストーリーでした。
ヒロインが旅の終盤で、人に言えない問題をかかえているという男の子に会ったときの
 
じゃあ、言わなくていいわ。
問題はいつかなにか他のものに変わるのよ。
 
というセリフに胸がいっぱいになりました。
 
それは、いつかなのです。
いつなのかはわからないのです。
 
そして、なにか他のものなのです。
自分にとってよいかどうか、
もしかしたらそういうジャッジをこえた天からのギフトのようなものかもしれません。
 
 
写真は映画のチケットとはじめてエンジェルカードをひいたときの寺門さんの描く天使のカードです。


2015年8月11日火曜日

8月16日天満ナチュラルマーケット そしてからだにうけとるよろこびと 子どものこころ

8月16日日曜日は天満ナチュラルマーケットです。
11時から17時まで sokuathu(足圧)します。
気軽に受けていただける、15分千円から です。

おいしいものや楽しいことがたくさんの空間に 遊びにいらしてくださいね。

オラクルカードのエンジェルカードも持っていきます。
ぜひ天使からのメッセージを うけとってくださいね。


     *     *     *

 わたしは、なにか見えないものが見えるとかそういう体質?では全然ないのですが、
印象に残る不思議な体験が二つあります。

 ひとつは、娘がまだ小さかったころ古い洋裁学校の原っぱにあるカフェに二人で行ったときでした。カフェが始まる時間を原っぱで娘と待ちながら、しゃがんで地面の草をぼんやりながめていました。娘はいろんな葉っぱをさがして、
こっちにこんな色の葉っぱがあるよ、
とむこうで言いました。そのとき突然からだが 圧倒的な幸福感みたいなものに包まれました。

みたいなもの、というのは、それまで経験したことのないような、直接からだに感じる幸福感としか言いようのない感覚だったからです。
わたしはびっくりして、わけもわからずそのわきあがってからだを満たしているものに身をまかせました。そしてその感じはふいにやってきたようにふいにすうっとひいていき、普段のわたしにもどりました。そのあとなにか自分が生まれ変わった、とかそういうこともなく、なんだったのかな・・・とおもっておしまいでした。

 もう一つは、京都のスターバックスで、ひとりでぼんやりしているときに、知らない英語の歌がながれました。それまでも音楽がかかっていて、その続きの一曲で、女の人が歌っているようでしたが、英語の歌詞はわかりませんでした。
その声をきいていたら、突然からだのおくから、ものすごい強さの快感のようなエネルギーがわきあがってきました。しびれるような感覚で、エクスタシーと呼ばれるものに近かったかもしれません。わたしはどうすることもできないでただじっとイスに座っていました。やがてその知らない歌がおわると、波がひくようにその感覚はわたしのからだから消えていきました。

そのときもただそういう時間があって、あとにはいつものわたしがいる、という風でした。

 その出来事からもう何年もたちますが、ときどき、あれはなんだったのかな、とおもうことがありました。
 少し前に あまり話さないその二つのことを聞いてもらう時間がありました。
どうしてそんなことがおこったのか、とても不思議だと言ったら、聞いてくれていたひとが自分のことを話してくれました。

おなじかどうかわからないけど、ある時期にね、すごくいろんなことを感じやすくなっているときがあって、出掛けていて、今から家に帰って晩ごはんを食べるんだと思ったら、うれしくて泣いてしまうような自分だった。それは、子どものようなこころでいたってことじゃないかな。
子どものようなこころがどんなものかって言われるとうまく言えないけど。
手放すのが大切っていうけど、そればっかりではいられないし、でもずっとぎゅっと抱えたままもしんどいし、その両方の繰り返しじゃないかな。
 ぎゅっとしてるときは、いい歌をきいて、あたまでこれはいい歌だなって認識してそれから感動するんだけど、手放してるときは、歌をきいてそれがそのまま自分に響いて反応するかんじゃないかな・・・ それが子どものこころでいるっていうことなのかなって。

その話をしてもらって、わたしは長い間の「なぜ」がとけて流れていくような、ほっとした気もちになって、その二つの時間をうけとりなおしたように感じました。

そしていつもギフトのときはふいにやってくるのだなと、その時間をうけとることができたしあわせに
むねがいっぱいになった夜でした。

2015年8月2日日曜日

8月4日火曜日 チエリヤさんでsokustsu(足圧) そして きれいなものを持っているわたしをみている目は誰の目?

 

 8月4日火曜日は、京都三条の仁王門通りのニューオーモンのチエリヤさんで
お灸セラピストのよだれちゃんと、足圧させていただきます。

10時から18時(受付)
15分千円から
畳の二階でゆったりと受けていただけます。
チエリヤさんはバインミーやおばんざいがおいしいアジアンなお店です。
わたしも楽しみです。

     *     *     *

 ときおり近所の フェアトレードの雑貨と洋服のお店番をさせてもらうことがあります。
ある日にぎやかな三人の女の人がいらして、店内を見てまわられるうちに、その中のおひとりの方の言葉が わたしの耳にささりました。

その方は、いろんなものを手にとるたびに、
これはおしゃれだけど、わたしが持つとだめよね、
これ、好きだけど、わたしはこんなの似合わないわ・・・

というようなことを言い続けられるので、
どうしてそんな風に思われるんですか?
とお聞きしたら、その方の妹さんに、今までずっと、
お姉ちゃんのセンスはひどい、ダメだ
とあんまり言われているから
というお答えでした。

わたしも10代の間、母に
あんたのおしりは大きくてぶかかっこうだから、
それがでる服はみっともない
と言われて、ずっとぶかぶかした服を着ていました。

ところが、ある日クラスの女の子にふいに、
あなたのお尻の形、いいよね、
と言ってもらってびっくりしました。
その後服を売る仕事をしましたが、やはり、母の言うことと、まわりの人が言うことは
全然違いました。

その話をその方にしたら、
きれいなプリントの布の手提げを
じゃあ、わたしが、こういうおしゃれなもの持ってても大丈夫ですか?
と言われたので、
全然大丈夫です!
と言うと、
その方は嬉しそうにその手提げを買っていかれました。

わたしたちは、自分でない誰かの目で見た自分を
簡単に自分自身だということにしてしまいます。

そしてなぜかそれがネガティブであるほうが、
身にまといやすいようなのです。

どんなに近しい人であっても
その人から見える自分は、その人の目にうつっている自分であって
リアルなわたしそのものではありません。

そんなことを、そのお客さまから 教えていただいた日だったな・・・
と 思いました。


写真は、寺門孝之さんの描く天使がすてきなオラクルカードの
Angel Card です。