2015年6月20日土曜日

6月21日 日曜日 天満ナチュラルマーケット そして通り抜ける とても素敵なあさあけどき

 
明日6月21日日曜日は、天満ナチュラルマーケットにsokuatu(足圧)参加させていただきます。
初めて参加の去年の6月のナチュラルマーケットでは、どきどきしてそこにいるのが精いっぱいな風でした。
 たくさんのよいことを経験させてもらったナチュラルマーケットに
感謝の気持ちをこめて受けてくださる方に小さなお福分けをお渡しします。
小さくお楽しみに。

    *    *    *

 やわらかな女性ヴォーカルのカヴァーアルバムの中の曲をきいていました。

とても素敵な昧爽(あさあけ)どきを 通り抜けてたら・・・

というところで、わたしも忘れない夜があける時の空があったとおもいました。

 夕暮れどきに帰る前にもう一度下宿のアパートのドアをノックしたら、その人が顔をだして、
「ああ、あっちゃんをこのへんで見たってきいたから、いいひんか探しててん。よかった。入り。」
と言われて、部屋に入りました。
 あっちゃんとよばれていた10代の終わりの夏のはじめでした。
 学校のイベントで話すようになったロングコートの似合うひくい声が心地よい人でした。

 そのころ、わたしは、自分のことが全然好きではありませんでした。セクシーさのかけらもない顔も、小さい胸も、他のこともコンプレックスだらけでした。
でもわたしはこんなだけど、女の人も男の人もすてきな人はいっぱいいてうれしいな、と思っていました。そのすてきな人たちがみんな好きでした。

 その人はひときわすてきにおもえました。
その人が、わたしに声をかけてくれたことがうれしくて、もう一度だけ会いに行きたくて、でも帰ろうかなあと思いつつしたノックでした。

 部屋に座ったらラジオから知らない歌がながれていました。
夜に男のひとの部屋にいるのは初めてでした。

 明け方、その部屋の小さなベッドからおきて、部屋の外にあるトイレに行きました。
そのとき見上げたら、むこうのほうにほんのりあかるみが見える夜明けの空でした。
大人になって初めて見るような空でした。

その空をみたわたしは、その前のわたしとはちがうようにおもえました。

 ただしくも、やさしくも、つよくもなく
あふれるエネルギーをとんちんかんに使ってばかりで
自分を好きになれなくて、
誰かに見つけてもらって、好きになれる自分を見つけたかったわたし。
そのときの空を見たこと、
それはふたりのおもいでにはならずに、わたしだけのおもいでですが、
わたしの中で、きえない空になりました。

2015年6月11日木曜日

6月17日 いんたばる晩ごはんライブ そして 破れた恋と 肌の下にあるもの・・・


6月17日水曜日の夜はいつものsokuatsu(足圧)じゃなく、
勾玉堂さんの口もおなかもあたまもうれしいお料理の、
いんたあばるの晩ごはんライブで、
えほんのじかんをもたせていただきます。
えほんにまつわる話と、えほんをよみます。
自分でページをめくるのとはちがい
えほんをよんでもらうこと、子どもだけでなく、おとなにもその心地よさをあじわってもらう時間になれば・・・とおもいます。

    *    *    *

中学の国語の教科書にのっていた、八木重吉の詩が好きでした。
たいがい教科書はつまらないものに思えましたが、その詩のページは家でも繰り返し見ました。
他に萩原朔太郎、高村光太郎、谷川俊太郎の詩がならんでいたように記憶していますが、八木重吉の詩が一番好きでした。
図書館にいって、詩の本を借りて読みました。
そのころ 大切にしていたりぼんの付録の陸奥A子さんのノートに好きな詩を書き写しました。
そのノートは、今も手元にあります。

自分でなにか詩のようなものを書きたいとおもいましたが、続きませんでした。
あるとき、寺山修司の「ポケットに名言を」という本を読みました。
自分の心にとまった短い数行の文章を集めた本でした。

それを読んで、これなら、わたしにもできるなあと、ノートに書くことにしました。
一番最初に書いたのは、そのときテレビで流れていたCMのコピーでした。
(そのときはコピーという言葉も知りませんでした)

「缶ビールの空き缶と破れた恋は、お近くのくずかごへ」

でした。(その当時は分別じゃなかったですからね)
大人になってからそれをつくられたのが、有名なコピーライターの方で、雑誌のインタビュー記事のなかで、そのコピーが自分の転機になったとおっしゃっていて、そうなんだ、わたしもすきだったと
その記事にむかって、心の中で叫びました。(本屋で立ち読みしていたので・・・)

そのときから 好きな文章や映像でながれた台詞をかきとめるのが、今も続いています。

今朝のニュースで、世界中の高層建築物に命綱なしで登る人が、
「好きというより、やってしまうんだ」
と言っていて、なるほどな・・・と思いました。

    *    *    *

英語でも微妙なニュアンスは、わからないものの 時々印象に残るフレーズがあります。
(丸ごと理解できないので・・・)

キーラ・ナイトレイが美しい ジェイン・オースティン原作のラブストーリーの古典
映画「プライドと偏見」の中で、
当時は女の人に相続権がなかったそうで、ヒロインの友だちが相続のために結婚すると知らせにきたシーンで、その友だちがヒロインにむかって、言います。

Don't judge me.

わたしを裁かないで。という感じでしょうか。
この映画の監督が、このシーンのセリフは、エマ・トンプソンが書いたんだよ。いいセリフだね。
と聞いて、女性的なセリフなのかな・・・と思いました。

”I've got under my skin”
という スタンダードナンバーが好きです。
はじめてきいたとき

use your mentality
wake up to reality

というフレーズが耳にのこりました。
考えてみるのよ、現実を見なくちゃ、
という風でしょうか。その前に

and repeats and repeats in my ear
"Dont'you know, little fool,
you never can win

とあります。
ばかね、みのりっこないわって繰り返し耳元でささやく声がきこえる。
というかんじ。

but each time I do ,
just the thought of you makes me stop before I begin
'Cause I've got you under my skin

そのとおりだと思うの。だけど、あなたをおもうとストップしてしまう。
それは、あなたが、わたしの中(under my skin)にいるから・・・ 

みたいな歌でした。(ちゃんとした訳は他でみてくださいね)
一度も I love you と言わずに、やさしい言葉で こんなにせつない恋のストーリーを
つくりだしてる。でもどこか、でも恋するって、あまくてすてきだよね?といっているような
時間も空間もこえてまっすぐに響く歌がすてきだなあとおもいます。

    *    *    *

写真は、晩ごはんライブのためのえほんとかわいらしいフライヤー。




2015年6月7日日曜日

祝福の6月のオシロイバナ そしてBarカウンターの質問のこたえは、魚屋の大将と・・・


6月のfour-o'clock(オシロイバナ) kinako は・・・

13日土曜日 京都五条モールギャラリー8
15日月曜日 中崎 common cafe ぽっけの日
17日水曜日 天満いんたあばる 晩ごはんライブ
21日日曜日 天満ナチュラルマーケット

 わたしにとって、祝福の睦月、
足圧ではなくて、17日夜は勾玉さんの晩ごはんライブで
えほんのブックトークとよむ時間をいただきます。

ちょうど、一年前の6月 ナチュラルマーケットに初めて参加させてもらいました。
看板とかないんですか?
と聞かれて、びっくりしてたわたしをここまで連れてきてくれたナチュラルマーケット。
21日に足圧をうけてくださった方に、ちいさな幸運のお福わけを・・・とおもっています。

    *    *     *

その日、思っていたより緊張していた自分に甘く、時々行くお店のBarカウンターに座りました。
(ノンアルコールなわたしの飲むのは、ジンジャーエールだけど・・・)

その夜、コンテンポラリーダンサーの方が同じカウンターに座ってらして、ダンスの話から、
わたしが、田中泯さんが好き、かっこいい!と言ったら、
どこがカッコイイと思うんですか?
と聞かれて、うーん・・・となって、すぐにこたえられませんでした。

かっこいいって誰にどんなときおもうのかな、
としばらく自分の中で、その問いが続きました。

この間、魚屋の大将が、鯛に塩をふるとき、お相撲さんみたいにがしっと塩をつかんで
頭より高く、手をかざして、豪快に塩をふってくれたのは、めちゃめちゃかっこよかったなあ・・・

そしていつか読んだ精神科医の香山リカさんのインタビューがうかびました。
カウンセリングの過程で、患者さんが内面を解決していき、自分なりの言葉で表現し始めると、
かわいらしい、美しいと、はっとするのだそうです。

「見せかけの表情でないほんとうの気持ちを表情に出だした時、その人らしい自然な美しさが見えてきます。たとえ社会の中でそんなに活躍してなくても、人間関係がそんなに広くなくても、そうできる人を、きれいな人だなと思うことはよくありますね。」
と続きます。

田中泯さんは、表現者ですが、そうでない人も
その人がいつわらない自分の声をきいて、過ごす日々の積み重ねの中から、
その人らしい、その人だけのほんとうの音を奏でるとき、
踊るとき、
話すとき、
コップをカウンターにコトリと置くとき
鯛に塩をふるとき
エトセトラ、エトセトラ

かっこいい、うつくしい と
おもわず、ひきこまれるのではないかなあ
というのが、今のところのこたえらしきものです。

   *    *    *

写真は五条モールのオセロさん。