2015年3月13日金曜日

3月25日水曜日チエリヤさんの癒しの日 そしてあかりをけしたBarと外国のコイン

 
 
 3月25日水曜日に京都三条の仁王門通りにあるニューオーモンという複合ショップの中のチエリヤさんで sokuatsu(足圧)させていただぃます。
 アロママッサージのみわこさんもいらっしゃいます。
 
 ベトナムのバインミーやタイカレー。おばんざいもみんなおいしいすてきなお店です。
 
 ゆったりした町屋の二階でお待ちしています。
 
 
*           *           *
 
 
20代のころ住んでいたまちの隣の西宮の夙川というきれいな街並みを散歩するのが好きでした。
 
ケーキ屋さんや珈琲屋さん、教会、輸入えほんのお店などが並ぶ中に、半地下のすてきなBarがありました。あまりお酒は飲めないけど、友だちを誘って行ってみました。街並みにあったきれいな落ち着いた雰囲気でした。
 
 それから何回か友だちとそのお店に行き、あるときひとりでそのお店に行きました。
 
 ひとりでBarに行くのは、そのころのわたしにはとても思い切ったことに感じられました。
 
 カワンターのはしっこに座っていたら、お店のひとが、
 
「いつも友だちときて、うちBarなのにけっこうお皿ならべて食ってますよね?」
 
と言われて、そうか、こういうBarではあんまり食べないものなんだなあ、今度から気をつけよう・・・と思ったりしました。
 
ぼんやりしたり、ときおりお店の人と話したりしていたら、どんどん時間がたって、終電の時間を過ぎていました。でもまあ隣の市だから、タクシーで・・・と思って、お財布をみたら、お店の支払いで、もう残りわずかな金額でした。
 
うーん、どうするかなあ、と思ってたら
 
お店の人が
「ぼく、お店閉めたら、車だからおくりましょうか?どのあたりですか?」
 
と言ってくださって、今思うと、顔に「タクシー代がない」って書いてあったんでしょう。
 
今日はじめて話したぐらいだし、常連でもないし、
ちょっとびっくりしましたが、とにかく帰れる、と思ってお願いしました。
 
その人が後片付けをしている様子を座って見ていると
Barのあかりをパチンと消したとき、そのころ話題だった田村正和さんがBarをしていて
井上陽水さんの歌が印象的なドラマみたいだなあと思って
「あのドラマのBarみたいですね」と言ったら、
「ああ、そういう人けっこういますよ。ありがちな感想ですよ」
と言われ、そうか、ありがちなんだ・・・と思ったりしました。
 
それから車で少しわたしのつまらない失恋の話なんか聞いてもらって、
「そう、がんばってね。いいこともあるよ」
と言ってもらって、家に帰りつきました。
 
なんだか不思議な夜だったなあと
思ってバックを見たら、さいふがありませんでした。車の中に落としてしまったのでした。
そのとき一番に思ったのは、ああ、からっぽのおさいふを見られてしまう・・・ということでした。
どうしようかなあ、と思っているうちにすぐにその財布は家に郵送されてきました。
それもすごく驚きました。なんで、住所がわかったのか・・・
 
からっぽのおさいふを開けたら、見慣れない外国のコインが入っていました。四葉みたいな模様があるコインでした。
お店の人が、失恋したというからっぽのさいふ持ってる女の子に、幸運をね、っていれてくださったんだなあと、胸がいっぱいになりました。
 
でもどうしてもおさいふが空だったことがはずかしくて、そのお店にいくことができませんでした。
そのうちに、引越して、夙川に行くこともなくなり、Barも違うお店になりました。
 
名前もわからない顔も覚えていないそのお店の人のちょっとクールな声を思い出すと、
はずかしいってことにこだわらずに、ちゃんとお礼を言えばよかったなあ、
と思います。
 
 
なんだか、どこをとってもまぬけな、でも幸せな出来事でした。
 
 
写真はsinduさんの作品、マハラジャに続く光のふりそそぐ道です。
 
 


2015年3月6日金曜日

3月14日 green stone 足圧の日 そしてかきまぜられる頭の中と知りたいほんとうの答え

 
 
 3月14日土曜日は、交野(かたの)のgreen stone さんでsokuatsu(足圧)の日です。

静かな住宅街のおうちの二階で お待ちしています。  

            *           *             *

 少し前に、本棚のある落ち着いたBarで、隣り合わせた方が、子どものころ「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」が好きだったと話されました。

 作者はバージニア・リー・バートン 訳はあの「花子とアン」の村岡花子さんです。

 
 同じバートンさんの「ちいさいおうち」
ついこの間みた映画「小さいおうち」の中で、妻夫木聡さん演じる青年が誕生日プレゼントにもらっていました。

その「ちいさいおうち」の訳者石井桃子さん。
「くまのプーさん」「ピーターラビット」「うさこちゃん」等々たくさんの翻訳をされた方です。
その石井桃子さんが、自宅で文庫をされているとき、アメリカからバートンさんがいらしたそうです。

その文庫に集う子どもたちにもバートンさんのえほんはとても人気があり、
なかでも バートンさんのえほんが大好きな女の子が バートンさんに会った様子を描いた石井さんの随筆を読んだ記憶があります。
小学生の女の子と言葉の違うバートンさんの時間を石井桃子さんはじっと見守ったあと、
その女の子に「バートンさんはどうだった?」と聞いたりしなかった。
わたしはそんな質問をすることで、せっかくのその子が体験した時間を持っている頭の中をかきまぜたりしたくなかった。
というようなことを書いてらっしゃいました。

大人は子どもに 「どうだった?」「おいしかった?」「たのしかった?」
とつい聞きたくなります。
そして、子どもが話そうとしている時に、聞かずにいたりします。

ベバリイ・クリアリー作の楽しい読み物「がんばれヘンリーくん」シリーズの中のラモーナという女の子を主人公にした「ラモーナ、明日へ」という作品の中で、小学生になったばかりのラモーナが引っ越してきた新しいクラスメイトのおうちに行ったときに
その女の子のお母さんがラモーナに聞く場面があります。

「まあ、あなた、すてきなくつをはいているのね。・・・デイジーも新しいくつを買わなきゃならないんだけど、このへんのお店がよくわからないものだから。あなたは、どこでくつ買うの?」

それを聞いてラモーナはそのお母さんを好きになります。
なぜでしょうか?
それは、

おとなの人で、ほんとうに答えが知りたくて質問する人はそんなにいません。
デイジーのおかあさんは、「学校おもしろい?」とか、「大きくなったら、何になりたいの?」とか聞く大人とは明らかにちがっていまいた。

と続きます。子どもの気持ちに近い作者だからこそ・・・と印象にのこりました。

わたしもあなたも こどもを含めて誰かに何かを聞くとき、ほんとうの答えがしりたくて
聞いているでしょうか。

人に何かきくということをおもった石井桃子さんとクリアリーさんの文章でした。